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無駄な包装

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お気に入りの水性ボールペンがある。ストックがあと一本に減ってしまった。近くの文具店や本屋で探したのだが、このブランドは置いてなかった。諦めて、ネット通販で頼んだ。ボールペン10本。頼んだ翌日に、宅配便でそのボールペンが届いた。

宅配のオニーさんから荷物を受け取ったうちのおばーがそれを手にして、ぼくに言う。
「あんた、何頼んだの?」
「はいー?ボールペンだけど」

意外なほど、大きな箱だった。段ボールの箱を開けると、中に悲しいほど小さな10本入りの箱が一箱だけ、ビニールラップされて箱の底に固定されている。そのボールペンの箱の大きさは、小さ目の羊羹くらいである。すかすかで、寂しい姿だ。恐らく、この段ボールの箱は、ボールペンの小箱が四、五十個は入るようなスペースなのだ。いかにも無駄。過剰・過大包装だ。

元のボールペンの箱のそのままで、送ってくればいいのに。ダメージが気になるのなら、多少の緩衝材をこの箱にまけばいいだけのことだと思うのだが。

最近、「ごみ」に関しての本を読んでいるので、余計に気になった。まして、先日JR中津川駅の無駄のない見事なパッケージングを見ているだけに、この手の包装の無駄には腹が立つ。ロジシティック革命で、ネット通販も確かに注文してから到着するのは早いので、効率化を図り、物流の無駄を省いているのだろう。まー、送料無料なので、それについて大きなことは言えない。頼んだこちらが悪いのだろうか。

所詮、アメリカの会社のやることだ。包装ひとつとっても、「無駄」がある。余分な、大量の「ごみ」が出る。大きな段ボールの箱が、燃費の悪い、図体のデカいアメ車のように見えてきた。

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by kouseramu | 2013-07-26 10:03


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